三輪山

みわやま

三輪山

三輪山の別名

  • 三諸山
  • 御諸山

三輪山の御神徳

三輪山の伝承地

  • 奈良県桜井市

三輪山の継続

  • 不明

三輪山の鎮座

三輪山の解説

みわやま

三輪山 三輪山

自然崇拝の原型を今に留める大神神社の御神体、三輪山。磐座信仰、神秘の三ツ鳥居、神話時代よりさらに遠い時代から信仰が息づく謎深い山について紹介します。

太古からの聖地 三輪山

大神神社には本殿がなく、背後の三輪山を御神体として古より崇拝している。鎌倉時代の『大三輪三社鎮座次第』にも「当社宝倉(=本殿)なし」とある。鎮座以来、本殿を作らず、三ツ鳥居を通して山そのものを拝する。古代の日本の自然崇拝の信仰形態が今に残る貴重な姿である。

三輪山の名が歴史に姿を現すのは記紀からである。

少名毘古那神と国づくりをしていた大国主神だが、小さな協力者は国づくりが完成する前に常世国へと渡ってしまう。残された大国主神が、これからどの神とともに国づくりを行えばよいのかと嘆いていると、海を照らして依り来る神があった。この神が大物主神である。大物主神は自らをきちんと祀るなら協力して国づくりをしよう、そうでなければ国づくりは難しいだろうと大国主神に告げる。そこで大国主神はどのように祀ればよいかと尋ねると、大物主神は答えた。

「吾をば倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ」と言りたまいき。此は御諸(みもろ)の山上に坐す神なり。(古事記原文読み下し)

この、大物主が自らを奉るように望んだ山「御諸山」が三輪山である。

三輪山は、地質学的にも特殊である。奈良の春日山系と言われる山々が風化しやすい花崗岩から成っているのに対し、三輪山だけが風化に強い「斑れい岩塊」からできている。そのため、永きに渡る時間の浸食から残され、神話の時代から変わらない神奈備の姿を保っているのである。

この山の麓に、約六千年前、つまり縄文前期から人類が居住した跡が見られる。それから農耕が営まれ弥生文化が開けていった。もともと三輪山の麓は磯城(しき)の地と呼ばれ、記紀では第十代崇神天皇、第十一代垂仁天皇、第十二代景行天皇などの宮が営まれた地と言われる纒向遺跡や、倭迹迹日百襲姫命(やまとももそひめ)が埋葬されているとされる(一説には卑弥呼の墓とも言われている)箸墓古墳が存在する。この地域が狭い意味での「ヤマト(三輪山の麓の意味)」と呼ばれ、やがて勢力が確立するにつれ奈良全体を「大和」と呼ぶようになり、やがて日本の呼称となっていったという説もある。

祭祀の変遷

『大三輪神社鎮座次第』に次のような記述がある。

当社古来宝倉無く、唯三箇鳥居有るのみ。奥津磐座は大物主命、中津磐座は大己貴命、辺津磐座は少彦名命。

三輪山に鎮まる神の座は、この三つの磐座と定められている。
現在は、山頂の高宮神社の上の杉木立の中の磐座が「奥津磐座」、狭井神社から山頂へ登拝する途中の磐座が「中津磐座」、摂社である磐座神社の御神体が「辺津磐座の中心」と説明されている。

「奥津磐座」に関しては、古事記に「青垣の東の山の上にいつき奉れ」とあるから山頂の磐座に大物主神が祀られていることは自然なことである。しかし「中津磐座」「辺津磐座」に関しては史料に位置関係などが見られるものの、三輪山に点在する多くの磐座の中でこれといって断定できるものではない。

ここで「御神体」である三輪山と磐座信仰を整理しておく。

「御神体(山)」という言葉が三輪山に使われるようになったのは江戸時代からのようである。それまでは、古事記の記述の通り「三諸山(みもろ/みむろ)」と呼ばれていた史料が多く残る。また、出雲国造神賀詞では「大美和の神奈備」とある。「三諸」「神奈備」とも語源には様々な説があるが、どちらも三輪山の固有名詞のように使われてきたようだ。

磐座信仰とは、自然に存在する巨石、奇石、またはそれらが集まったもの「それ自体」を畏怖し、拝するのではない。あくまでもそこを神の座する場所として招き奉り、祭祀を行う。崇拝の対象は決して岩そのものではない。

三輪山における磐座信仰は次のように変遷したものと思われる。
はるか古代、人は円錐形の美しい山に崇敬を念を抱き、それがいつしか信仰の対象になった。その山に宿る神を招き祀るために一時的に磐座が設けられ磐座信仰がはじまり、やがて三ツ鳥居を通して山全体に宿る神霊を拝むという神体山信仰に変化していったものと考えられる。

神秘の三ツ鳥居

大神神社には、本殿はなく御神体である山を拝殿から拝む。その拝殿の向こうの大宮谷と称する区域は禁足地とされ、もっとも神聖な場所である。三輪山はこの禁足地とその他の「惣山(そうやま)」に分けられる。

拝殿と禁足地の間は、大神神社にのみ存在すると言われる鳥居とそれに付随する瑞垣で仕切られている。これが、大神神社の社伝に「古来一社の神秘なり」との記録しか存在しない三ツ鳥居である。

昭和二十八年に重要文化財に指定されたこの鳥居は、明神型鳥居の両脇に小型の脇鳥居が組み合わされた三連の鳥居で、中央の本鳥居には厚板の御扉が取り付けられている。この御扉には帳(とばり)がかけられ、その上に御簾が吊られているので実際に目にすることはできない。また、拝殿奥にあるため、この三ツ鳥居を実際に拝むには昇殿参拝(いわゆるご祈祷など)で拝殿にすすむ必要がある。

大神神社の摂社、檜原神社は、大神神社の三ツ鳥居とほぼ同じ形の鳥居があり、そこから御神体である三輪山の磐座を拝む形になっている。この三ツ鳥居は外から見ることができる。

三輪山へ登拝するには

神聖な山ゆえに、神主、社家、社僧の関係奉仕者の落葉・下草刈りなどの清掃以外の入山は基本的には認められておらず、その掟は形を変えて今も守られている。
現在は、深い崇敬の念を持って登拝を願い出る人に限り、高宮神社への参拝が許されている。

手順は以下の通りである。
まず、摂社である狭井神社の境内南側にある登拝口の前で修祓ののち、参拝証である木綿襷(ゆうだすき)を受け取り肩に掛ける。入山してからは水分補給以外の飲食は禁止、カメラ等での撮影も禁止されている。山の石ひとつ、葉の一枚も持ち帰ることも許されていない。登拝が終わったあとには下山報告の必要がある。

文章担当あさみ(元メンバー)

参考資料

  • 古事記
  • 大神神社

挿絵担当こなゆき(元メンバー)

参考資料

  • 古事記
  • 大神神社

挿絵解説

三輪山の信仰の象徴である三ツ鳥居と、山の入り口を描きました。夜の訪れとともに神様が現れるイメージです。

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