両面宿儺
りょうめんすくな
両面宿儺の解説
りょうめんすくな


頭が二つあり、手足が四本あったいわゆる異形といわれた両面宿儺。
大和朝廷に敵対した豪族として描かれていますが、実は文字通りの「二つ目の顔」があります。
両面宿儺とは
両面宿儺は今から推定1600年前、飛騨に存在したと言われています。異形の人として言われており、日本書紀によれば風貌は以下の通りだった。
◇身の丈が七尺あまり(およそ二メートル)
◇頭の前後に二つの顔を持つ。
◇手足が四本あった。
両面宿儺と大和朝廷
大和朝廷が古代にその勢力を全国に拡大しようとした頃、飛騨には独特な文化を持った先住民族が暮らしていたと言われています。両面宿儺はその首領であるといわれています。
仁徳天皇の時代に、調停は何度も両面宿儺率いる先住民に立ち向かうべく軍勢を送りましたが、両面宿儺にはかないませんでした。
その後、武振熊命を大将とした朝廷軍は両面宿儺を鍾乳洞まで追い詰めて、そのまま死んでしまいました。
以上より、日本書紀では大和朝廷に仇なす敵として描かれています。
両面宿儺と岐阜県
しかしながら、両面宿儺がそれでも朝廷と敵対していたのには理由があります。
両面宿儺は飛騨の民を守るために朝廷と敵対していたのではないかといわれています。
現に、岐阜県(特に丹生川町)では、様々な場所で両面宿儺の伝承が伝わっており、武振熊命と戦うときに村人から別れのもてなしを受けたが、村人に危機が及ぶのを恐れて石の窪みに飯をよそって食べたという言い伝えも残っています。
また、千光寺は両面宿儺が開山したともいわれており、立像が建立されています。
それは生涯で十二万体の仏像を彫ったといわれる飛騨出身の円空が彫った「両面宿儺像」にも言えることでしょう。
両面宿儺は怪物として伝えられてきました。ですが、飛騨出身の円空は両面宿儺は怪物ではなく飛騨の民を守っていたことを知っていたからこそ、顔に善悪を示し、善面を前にして、人々を守った両面宿儺を現しているのです。
日本書紀との乖離
では、どうして日本書紀と地元ではイメージが百八十度変わってしまっているのでしょうか?
それは大和朝廷に服しない勢力に対する蔑視も含まれている形容なのだと考えられます。一般的に、日本書紀の記述は、大和朝廷の勢力が飛騨の豪族と接触したという『征服』の事実の反映とされています。