八咫鏡

やたのかがみ

八咫鏡

八咫鏡の別名

  • 八尺鏡
  • 真経津鏡

八咫鏡の御神徳

八咫鏡の伝承地

  • 神宮

八咫鏡の継続

  • 不明

八咫鏡の鎮座

八咫鏡の解説

やたのかがみ

八咫鏡 八咫鏡

三種の神器の一つ八咫鏡。
現在は神宮内宮にお祀りされており「宝鏡奉殿の神勅」では天照大御神と同じように扱うようにと神勅が出されています。

八咫鏡の誕生

日本の歴史上で初めて八咫鏡が登場するのは天岩戸神話。
須佐之男命の狼藉により天照大御神は天岩戸にこもられて世界中が暗黒に鳥立された時、八百万の神々は天の安河に神集いご相談されました。

この時、思兼神の妙案により天津麻羅命(鍛冶の神様)に鉄を鍛えさせ、鍛えた鉄を作鏡連の祖神である伊斯許理度売命が磨き上げて作られたのが八咫鏡です。
※八咫鏡に先立って鋳造された鏡。日像鏡と日矛鏡があります。
 日像鏡は日前神宮、日矛鏡は國懸神宮、それぞれのご神体として祀られています。

美しく磨かれた鏡は天宇受売命の神憑ったような神楽により顔を覗かせて天照大御神のお姿を移してこれを新たな日の神と偽り天照大御神を岩戸の外へ出す事に使われました。

宝鏡奉斎の神勅

日本書紀おいて「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉殿の神勅」「由庭稲穂の神勅」は三大神勅と言われています。
その2番めに当たる宝鏡奉斎の神勅は天照大御神の御子である天忍穂耳尊に授けられたとされています。
※一節では邇邇芸命という説もあります。

その後、邇邇芸命の天孫降臨で地上に降り立った八咫鏡は神勅を守り代々天皇の近くに祀られました。

宝鏡奉斎の神勅

■ 原文
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。

■ 現代語
我が御子、この宝鏡(八咫鏡)を見る時は私(天照大御神)を見ると同じようにしなさい。床を共にし、同じ殿にいて神聖なる鏡としなさい

八咫鏡の旅

日本書紀によると代々宮中に祀ってきた八咫鏡ですが、第10代崇神天皇は天照大御神の勢いをおそれて宮中の外で祀る事とされました。
崇神天皇6年、八咫鏡は豊鍬入姫命に託されて笠縫邑に移されました。

笠縫邑の場所については諸説あり、檜原神社(奈良県桜井市)、多神社(奈良県磯城郡田原本町多)、笠縫神社(奈良県磯城郡田原本町秦荘)、笠山荒神社(奈良県桜井市)、志貴御県坐神社(奈良県桜井市)、小夫天神社(奈良県桜井市)、穴師坐兵主神社(奈良県桜井市)、飛鳥坐神社(奈良県高市郡 明日香村飛鳥)、長谷山口坐神社(奈良県桜井市)などがあげられます。

笠縫邑は大嘗祭、豊明節会の起源に関する土地とも言われています。

その後時は流れ垂仁天皇の御代に入ると再び、
倭姫命によって八咫鏡の場所が変えられています。

大和から伊賀→近江→美濃→尾張とへて最後に倭姫命は伊勢国に入ります。
この時、神託により神宮を創建するのです。
※伊勢神宮に入るまでに八咫鏡が順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれています。

宝鏡奉斎の神勅

■ 原文
是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國

■ 現代語
この神風が吹く伊勢国は常世国(理想郷?)の波が幾重にも重なり寄せる国。大和の国の側にありいい国です。ここに居たい。

こうして、源平合戦など様々な戦火に見舞われたものの現在も尚、八咫鏡は伊勢神宮に祀られています。
※現在宮中にあるとされる八咫鏡はレプリカとされています。

文章担当清水 宏積

参考資料

  • 古事記
  • 日本書紀

挿絵担当大藤やすみ

参考資料

  • 古事記
  • 日本書紀

挿絵解説

ニニギノ命が、天照大神から八咫鏡を授かる「宝鏡奉斎の神勅」の場面を描きました。
鏡のデザインは近畿地方の古墳に多く出土している三角縁神獣鏡をイメージしつつ、大きさは平原遺跡出土の大型内行花文鏡を参考にしました。

八咫鏡に関連する神様

やたのかがみ

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