夜刀神

やとがみ

夜刀神

夜刀神の別名

  • やつのかみ

夜刀神の御神徳

夜刀神の伝承地

  • 茨城県行方郡(現在の行方市)

夜刀神の継続

  • 不明

夜刀神の鎮座

夜刀神の解説

やとがみ

夜刀神 夜刀神

風土記に登場する神様、夜刀神をイラスト付きでご紹介。
茨城県に伝わる蛇神、夜刀神。その名前の由来と、その逸話について紐解いていきます。

名前の由来及び夜刀神の姿

夜刀(やと、やつ)は関東地方の方言で谷間、谷合を示す「谷地(やち)」「谷津(やつ)」「谷頭(やと)」に由来しており、また、霞ヶ浦周辺の谷間の湿地には蝮などの蛇類も多いことから、土地神としての蛇神であるといわれる。

常陸国風土記から見る夜刀神

夜刀神のことがよく記されている書物、常陸国風土記の中に夜刀神説話というものがある。これについて、噛み砕いた表現で説明していく。

 昔々、継体天皇の時代に箭栝という人がいました。
箭栝は谷を切り開き、新たに田を開墾した。
そのとき、夜刀神が大量に現れ、その開墾を邪魔した。夜刀神はこの地に住む蛇のことをいい、地元民曰く「胴体は蛇だけど、頭には角がある」と。

邪魔が長く続き、またひどくなっていったため、武装した箭栝は大量の夜刀神を殺し、かつ追い払うことに成功すると、山の入口に堀を掘って、そこを神と人間の住み分けの境界線とした。
箭栝はそののち、近所に神社を作り、神職となり、代々夜刀神を祀っていくことになった。

 

 

さらにそれから百四十年あまりの年月が立ち、孝徳天皇の時代になると、壬生連麿が谷を占有し人々の生活を豊かにするために池を作ろうとした。
夜刀神は池付近の椎の木に上り集まると、いつまでも立ち退きしようとはしなかった。

麿曰く、「人々を広く救うためにこの池を修築するというのに、どうしてこの神は従わないのか!」と。
さらに、民衆に向かって、「目に見えるものはすべて打ち殺せ」と命じた。

夜刀神はそれが言い終わるやいなや、あっというまに隠れ去ってしまったという。
その後池は無事完成し、椎井の池と名付けられ、その周りには清水が湧き、土地の人々の農業に使われることになった。

夜刀神は結果として、どのエピソードでも人間に仇なす形で姿を現している。また、夜刀神がいずれも、開墾或いは修築に反対する人々を写しているのではないかと言われており、夜と暴力の神ともいわれることがある。夜刀神が神社で祀られているのは前述のように、夜刀神の怒りを鎮めるためであるとも考えられ、通常の神社で祀る神とは少々違う。
なお、椎井の池は現在愛宕神社境内にあり、今もなおこんこんと流れているという。

文章担当巫夏希(元メンバー)

参考資料

  • 常陸国風土記

挿絵担当やまくじら

参考資料

  • 常陸国風土記

挿絵解説

ヤマカガシを元に描いてみました。

夜刀神に関連する神様

やとがみ

夜刀神 夜刀神