大国主命

おおくにぬしのみこと

大国主命

大国主命の別名

  • 大穴牟遅神(古事記)
  • 葦原色許男神(古事記)
  • 八千矛神(古事記)
  • 宇都志国玉神(古事記)
  • 大物主神(日本書紀)
  • 国作大己貴命(日本書紀)
  • 葦原醜男(日本書紀)
  • 八千戈神(日本書紀)
  • 大国玉神(日本書紀)
  • 顕国玉神(日本書紀)
  • 大己貴神(古語拾遺)
  • 大国魂神(古語拾遺)
  • 大穴持命(延喜式)
  • 他にも、例えば『風土記』では伊和大神(播磨)、所造天下大神(出雲)とも呼ばれ、幽冥界の主である事より幽冥主宰大神、出雲大社の祭神である事より杵築大神などとも呼ばれている。また、七福神の「大黒天」も大国主神と同一視されている。

大国主命の御神徳

大国主命の伝承地

  • 主に出雲地方

大国主命の継続

  • 【古事記】
  • 須佐之男命の六世の孫
  • 刺国若比売(母)
  • 八上比売(妻)、須勢理毘売命(妻)、沼河比売(妻)、多紀理毘売命(妻)、神屋楯比売命(妻)、鳥取神(妻)
  • 木俣神(子)、阿遅(子)、阿遅鋤高日子根(子)、高比売命(子)、事代主神(子)、鳥鳴海神(子)
  • 【日本書紀】
  • 素戔鳴尊の七世の孫
  • 併せて百八十一神

大国主命の鎮座

大国主命の解説

おおくにぬしのみこと

大国主命 大国主命

大国主に関わる伝説、神話は非常に多種多様に存在します。今回は、『古事記』、『日本書紀』を基軸に据えて大国主の神としての成長、そして国造り、国譲り、その後の大国主の伝説について様々な史料から見てみましょう。

動物愛護の神としての、大国主神

あの「因幡の白兎」のシーンです。隠岐の島に住んでいた白兎が中つ国(現在の日本)に渡りたいと考え、海に住んでいる和邇(ワニ=鮫のこと)に話を持ちかけて、ワニの背中を飛び越えて本土に渡ったものの最後の一匹に噛まれて大けがをしてしまう話として有名です。
面白い事に、『古事記』の神話では相手を騙す話が数多く出てきます。

例えば、白兎の話以外にも、天照大御神が岩屋にお隠れになった時の話や、神武東征の終盤、ヤマトタケルの神話における熊襲での話などに見る事が出来ます。今回は、最後の最後で白兎が「騙されたんだ!!ざまぁ!!」との意味合いの言葉を発しています。この辺りの原文を少し見てみましょう。

今地に下りむとせし時、吾云ひしく、『汝は我に欺かえつ。』と言ひ竟はる卽ち、最端に伏せりし和邇、我を捕へて悉に我が衣服を剝ぎき。(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.93)

訳(以降、本ページにおける訳は註が無い限り、小山田宗治による。)
そして、地上に降りようとした時に私(白兎)は言いました。「あなた(ワニ)は私に騙されたのだ。」と。言い終わる頃に最後のワニが私を捕まえて、全ての毛皮を剥いでしまった。

この様に痛々しい姿になった白兎を更に痛めつけた人間たちが居ました。大国主の兄たちです。
大国主の兄たちは八上比売(ヤガミヒメ)に求婚すべく、末っ子の大国主に荷物持ちをさせていました。兄たちは傷ついた白兎を見て海水を浴びて風に当たれば良くなると白兎に言いました。しかし、この様な事で傷が治るはずも無く途方に暮れていた所に遅れてやってきたのが大国主でした。大国主は白兎に「真水で体を洗い、蒲黄(かまのはな)を敷いて、そこに寝転びなさい。」と諭しました。

そして大国主の言う通りにして元の体に白兎はなりました。
そして白兎は喜び、大国主にこう申し上げています。

「此の八十神は、必ず八上比賣を得じ、袋を負へども、汝命獲たまはむ。」
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.93)


(兄たち)八十神は、絶対にヤガミヒメと結婚する事は出来ません。例え、袋を背負う様な身分でも、あなた(大国主)が結婚出来るでしょう。

この言葉の通り、ヤガミヒメは大国主の兄たちの求婚を断り大国主と結婚する訳です。兄たちの大国主に対するイジメがここから始まります。

いじめられっ子から、神としての成長

ヤガミヒメとの結婚に失敗した、大国主の兄たちの執拗なイジメが始まりました。その手段も、山の上から焼いた岩を大国主に受け止めさせて全身やけどにしたり、木を裂いた間に大国主を立たせて板挟みにしたりと、物語を読むだけで怖い話が続きます。この状況を見ていた母神は、次の様に述べて須佐能男命(スサノオ)のもとに逃がしています。

「須佐能男命の坐します根の堅州國に参向ふべし。必ず其の大神、議りたまひなむ。」とのりたまひき。
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.95)


「スサノオの居る根の堅州国(かたすくに)に向かいなさい。必ず、スサノオはどうにかしてくださるでしょう。」とおっしゃった。

これにより、大国主はスサノオの居る根の国へと旅立ちます。
根の国でスサノオの娘、須勢理毘売(スセリビメ)に一目惚れした大国主ですが、スサノオのもとでの試練が始まりました。皆さんも聴いた事があると思いますが、「蛇の室(むろ)」、「蜈蚣と蜂との室」の話で有名です。この試練で用いた、「比禮(ひれ)」は物部の十種神宝(とくさのかむだから)にも登場しています。

更に多種多様の試練を乗り越えて、大国主は成長しました。そして、妻となったスセリビメを連れての大脱走劇が始まります。
大脱走劇の原文を見てみますと、

爾に其の神の髪を握りて、其の室の椽毎に結び著けて、五百引の石を其の室の戸に取り塞へて、其の妻須世理毘賣を負ひて、卽ち其の大神の生大刀と生弓矢と、及其の天の詔琴を取り持ちて逃げ出でます時、其の天の詔琴樹に拂れて地動み鳴りき。
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.99)


(スサノオの)髪を部屋の垂木毎に結びつけて、大きな巨石を部屋の扉に据え、スセリビメを背負い、更にスサノオの大刀と弓矢、そして天の詔琴(のりごと)を以て逃げた。しかし、天の詔琴が木に引っかかった時、大きな音が鳴り地が揺れた。

とあります。スサノオの宝物と娘を連れての逃亡ですが、その様は非常に手の込んだ内容である事が分かるかと思います。しかし、肝心なところで楽器が樹木に当たる事によって、大きな音がなってしまいスサノオは目を覚ます事になります。この部分はイギリスの童話「ジャックと豆の木」と類似性があるとも言われています。

スサノオが起きて逃げている大国主を追いかけるために、垂木に結ばれたスサノオの髪を解いている間に、大国主たちは遠くへと逃げてしまいます。観念したスサノオは大国主たちに次の様なメッセージを伝えています。

「其の汝が持てる生大刀・生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば、坂の御尾に追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥ひて、意禮<…分註中略…>大國主神と爲り、亦宇都國玉神と爲りて、其の我が女須世理毘賣を嫡妻と爲て、宇迦能山<…分註中略…>の山本に、底津石根に宮柱布刀斯理、<…分註中略…>高天の原に氷椽多迦斯理<…分註中略…>て居れ。是の奴。」
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.99)


お前の持っている大刀と弓矢を用いて、お前の腹違いの兄弟を坂に追い込み、川に追い払え。そして、お前は大国主となり宇都国玉神となって、我が(スサノオ)娘なる須世理毘売(スセリビメ)を正妻とし、宇迦能山の麓に立派な宮殿を造れ。こいつめ!!」

ここから、数々の試練を授けてきたスサノオですが、根はとても優しさに溢れている事が感じられると思います。
さて、スサノオと言えば『古事記』では寸前まで須賀宮を造営し妻である奇稲田姫と過ごしていた筈ですが、何故に根の国に居るのでしょうか。これは、『日本書紀』を見てみますと分かります。『日本書紀』第八段「宝剣出現」章本文の一番最後を見てみますと、次の様に記されています。

已而素戔鳴尊遂就於根國矣。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀 前編』,昭和49年,p.42 ※HP公開上のフォーマットの兼ね合いで漢文は白文とした。)


すでに、その素戔鳴尊は、ついに根の国に行ってしまった。

三貴紳の末っ子として泣きわめいていたスサノオは、数々の試練を乗り越えて英雄となり、そして当初の希望を叶えたと言えましょう。

この後に、大国主とスセリビメとの間には、『古事記』に神話としても文学としても面白い嫉妬の話と歌謡が沢山出てきますが、これに関しては別の筆者がスセリビメについて書いておりますので、そちらに譲りたいと思います。
大国主は神として成長を遂げ、いよいよ国造りを行う事になります。

国造り

大国主と国造りを行ったパートナーとして最初に挙げられるのは、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)でしょう。
この神はとても小さく、ガガイモで出来た船に乗って登場します。

とても仲の良いパートナーであった事が『古事記』から読み取る事が出来ます。スクナビコナについて、神産巣日神(カミムスヒ)に報告したときに次の様に話されたと『古事記』では記しています。

「此は實に我が子ぞ。子の中に、我が手俣より久岐斯子ぞ。<…分註中略…>故、汝葦原色許男命と兄弟と爲りて、其の國を作り堅めよ。」
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.109)


「この子は確かに私の子である。私の手より落ちてしまった子だ。(スクナビコナよ)葦原色許男命(大国主)と兄弟となり、国を作れ。」

しかし、喜びもつかの間。スクナビコナの神は常世の国へと渡ってしまったのです。
嘆き憂いている大国主のもとに、海を照らして寄ってきた神が居ました。奈良県大神神社の御祭神である大物主神(オホモノヌシ)です。大物主神は三輪山に祀られる事を条件に、大国主の国造りを手伝う事になりました。そうして一歩一歩、出雲を中心とした国造りは進み発展して行きました。
大国主の作った国については、例えば『日本書紀』第八段の一書や、『古語拾遺』などにその詳細を見る事が出来ます。
例えば、『日本書紀』には、

復爲顯見蒼生及畜産。則定其療病之方。又爲攘鳥獸昆虫之灾異。則定其禁厭之法。是以百姓至今咸蒙恩頼。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀 前編』,昭和49年,p.47 ※HP公開上のフォーマットの兼ね合いで漢文は白文とした。)


また人間や畜産動物の為に病気を治療する方法を定め、他にも鳥獣や昆虫による災いを払う為に禁止行為を定めた。よって今まで全ての国民は恩恵に蒙る事が出来た。

とあります。ほぼ同様の内容が『古語拾遺』にも記されています。

国譲りそして、幽冥界の主へ

大国主が立派に作っている”最中”の国ですが、高天原より皇御孫命(スメミマ)であられる天忍穂耳命(アメノオシホミミ)が天下りなされる事が決まりました。これは、天照大御神の命令によるものです。
ここでは、視点を変えて『日本書紀』から国譲りを見てみましょう。

『日本書紀』の第九段「天孫降臨」章本文によりますと、順調に大国主による国造りが進められている中津国ですが、高天原視点で見てみますと国つ神は荒ぶる神々として見られていた事が窺えます。

然彼地多有螢火光神及蠅聲邪神。復有草木咸能言語。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀 前編』,昭和49年,p.59 ※HP公開上のフォーマットの兼ね合いで漢文は白文とした。)


しかも、その国(中津国)は蛍火の様に光り輝く神や騒がしい邪しい神がいる。また草や木は悉くに口答えをする。

古事記では簡単にアメノオシホミミが「天の浮橋」に立って下界の様子を御覧になられ、下界が騒がしいと書かれていますが日本書紀ではその様子が詳しく書かれています。
この部分は、後の平安時代に定められた律令である『延喜式』巻八-祝詞式において「六月晦日大祓」祝詞、すなわち現在の大祓詞にも出てくる内容です。

少し見てみましょう。

かく依さしまつりし國中に、荒ぶる神達をば神問はしに問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて、
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.423)

大祓詞で最初の方に出てくる慣用句とも言えるこの部分は、当時の下界でした。
他にも、同じ『延喜式』祝詞式の「出雲国造神賀詞」にも当時の中津国の様子が語られています。

豐葦原の水穂の國は、晝(ひる)は五月蠅(さばへ)なす水沸き、夜は火瓫(ほべ)なす光く神あり、石ね・木立・青水沫(あをみなわ)も事問ひて荒ぶる國なり。
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.455 ※本文漢字ルビは筆者による。)

具体的に書かれていますね。更に、やはり同じ『延喜式』祝詞式「遷却祟神(祟神を遷し却る)」には、神話に基づく中津国の平定の様子が具体的な神々の御名や、それらの神々の行為を示しつつ書かれています。
いずれの祝詞を見ても、すざましかった事が窺えます。

高天原では対応をどうするか話し合いが行われ、まず天穂日命(アマノホヒ)を遣わします。しかし、この神は大国主にベッタリとなってしまい命令を果たしませんでした。
次に遣わされた神は、天稚彦(アメワカヒコ)です。しかし、この神も大国主の娘、下照姫(シタデルヒメ)と結婚してしまいました。

困った高天原側が最後に遣わしたのが経津主神(フツヌシ)と、武甕槌神(タケミカヅチ)の二柱。現在の、香取神宮・鹿島神宮の御祭神です。
この後、『古事記』では大国主の子である事代主神(コトシロヌシ)と、諏訪の神様である建御名方神(タケミナカタ)の服従に関する話がありますが、『日本書紀』では違うエピソードで物語が進みます。 『日本書紀』にはタケミナカタは登場せず、国譲りのシーンは非常に平和的に解決している事が窺えます。

『日本書紀』第九段一書(第二)には、天孫降臨に際して高皇産霊尊(タカミムスヒ)より大国主へ命令が出ています。

夫汝所納顯露之事。宜是吾孫治之。汝則可以治神事。又汝應住天日隅宮者。今當供造。即以千尋栲繩結爲百八十紉。其造宮之制者。柱則高太。板則廣厚。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀 前編』,昭和49年,p.72 ※HP公開上のフォーマットの兼ね合いで漢文は白文とした。)


現世の事は全て我らが皇孫が治める。お前(オオナムチ=大国主)は祭祀を司れ。また、お前が住む宮は、今すぐ造ろう。長い栲の縄で確実に結び、そして柱は太く高く、板は広く厚くしようではないか。

大国主は、祭祀者としての立場になり、立派な宮を頂く事になりました。この時に造られた宮が現在の出雲大社へと繋がっています。この当時の宮の建て方の様子は『出雲国風土記』楯縫郡の条にも記されています。
所が、大国主は申しました。

吾所治顯露事者。皇孫當治。吾將退治幽事。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀 前編』,昭和49年,p.73 ※HP公開上のフォーマットの兼ね合いで漢文は白文とした。)


私の治めている現世の事は、当に皇孫が治められるべきだ。私は退き、幽世を治めよう。

こうして、大国主は幽冥界の主として君臨する事になりました。
そして、天孫降臨が行われ高天原から皇孫であるニニギノミコトが天下る事となります。

明治政府の神祇政策と大国主(祭神論争)

慶応3年(1867)12月9日「王政復古の大号令」が発せられ、「神武創業」に基づくあらたな時代が始まりました。慶応4年(1868)3月14日、明治天皇は京都御所紫宸殿に出御され天神地祇に近代の国造りをお誓いになられました。その時の、「五箇条の御誓文」とよばれる誓いには国民の指針が記されていました。

明治新政府によって神社祭祀にも新しい流れが出てきました。明治2年(1869)7月に政府の官制改革により神祇官が再興されました。しかし、この神祇官は主に平安期の神祇官とは制度や人員等で違いがあります。
明治4年(1871)8月にこの神祇官は廃止となり、改めて神祇省が設立される事になります。

この少し前、明治4年5月には神社は「国家の宗祀」と位置づけられ、いよいよ国の管理による神社の祭祀が始まりました。
政府による神道に関する政策は、神社そのものだけでなく国民にも及びます。

そもそも、明治維新の理由の一つは「欧米列強」から日本の独立を守る事でありました。

えば、香港のアヘン戦争(1840~1842)において日本はイギリスの怖さを間近で見ています。
日本が植民地にいつなってもおかしくない状況に危機を抱いていた訳です。そして、維新後には宗教上においてもう一つの懸念がありました。キリスト教の浸透です。

キリスト教に対しての対策に、政府によって神道による国民教化の政策が断行される事になりました。
明治2年(1869)に大国隆正・福羽美静らの主導により神祇官内に「宣教使」が設置されます。

この宣教使は明治5年(1872)4月に神祇省が教部省へと改組され「大教宣布運動」と呼ばれる教化事業が開始されます。神官・僧侶は教導職を兼ね国民への教化運動に参加しました。強化運動は「教則三条」(三条の教則)と呼ばれる指針を基に行いました。

『教則三条』
第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事
第二条 天理人道ヲ明ニスヘキ事
第三条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事

しかし、教導職は当初は神道と仏教の共同による政策でしたが、次第に神道側が有利となり仏教側の不満が蓄積される事になります。
全国に教導職の拠点として東京の芝増上寺に大教院、各府県に中教院、全国の神社・寺院は小教院として位置づけされました。所が、この大教院にて大問題が発生する事になります。

大教院には神殿が設けられ、天照大御神、造化三神(天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)が祀られており僧侶に対しても参拝を義務づけました。
僧侶にとっては屈辱であったのでしょう。真宗の僧侶、島地黙雷を中心に全国の真宗僧侶は大教院解体運動を起こしました。明治8年(1875)4月に大教院は解散し、教化活動は各教団による活動となり、神社神道は「神道事務局」を設置し活動の継続をはかることになりました。

明治13年(1880)、神道事務局内にて更に大問題が発生します。
伊勢の神宮の大宮司を務めていた田中頼庸と出雲大社の宮司を務めていた千家尊福との間で論争が起こったのです。
その内容とは、神道事務局内の神殿における祭神において、大国主神を合祀すべきか否かという内容でした。この論争は全国各地の神職も巻き込むとても大きな論争となり、全く収拾がつかない状況でした。

この問題に切り込んだのは真宗の僧侶でした。渥美契縁や赤松連城らは政府に働きかけを行い、ついに長年に渡った論争は明治14年(1881)2月に、明治天皇の勅裁によって収拾するという前代未聞の結果となりました。

この問題を切っ掛けに、明治15年(1882)1月、官国幣社の神官は教導職を兼ねる事が廃止され、更には神葬祭に携わる事が禁止されました。前出の「国家の宗祀」としての神社神道の祭祀者として、本務は「祭祀」である事から神官の職務は神祇祭祀のみに限定した形となりました。

同年、神道事務局は廃止となり皇典講究所が設立され神職の中央組織・神職養成機関として歩む事になります。この皇典講究所は大正9年(1920)に旧制の大学としての國學院となり、現在の國學院大學としてその精神は受け継がれ、神職養成機関として今も運営されています。

明治17年(1884)8月、教導職制度そのものが廃止となり国民教化政策は、数々の問題を経て最後は大国主が関わる問題によって終焉を迎える事になりました。

文章担当小山田宗治(元メンバー)

参考資料

  • 古事記
  • 日本書紀
  • 出雲国風土記
  • 延喜祝詞式
  • 古語拾遺

挿絵担当緋呂(ひろ)

参考資料

  • 古事記
  • 出雲大社

挿絵解説

大国主命の有名なエピソード「因幡の素兎」から描いてみました。
皮を剥がれてしまったウサギを描くのは忍びなかったので、ガマの穂で治った後をイメージしています。

大国主命に関連する神様

おおくにぬしのみこと

大国主命 大国主命