天若日子(あめのわかひこ)

あめのわかひこ

天若日子(あめのわかひこ)

天若日子(あめのわかひこ)の別名

  • 天稚彦(日本書紀)

天若日子(あめのわかひこ)の御神徳

天若日子(あめのわかひこ)の伝承地

  • 出雲地方

天若日子(あめのわかひこ)の継続

  • 天津国玉神(親)
  • 下照比売(妻/大国主の娘)

天若日子(あめのわかひこ)の鎮座

天若日子(あめのわかひこ)の解説

あめのわかひこ

天若日子(あめのわかひこ) 天若日子(あめのわかひこ)

『狭衣物語』などの平安文学に登場するイケメンな神様。『古事記』や『日本書紀』では高天原を裏切った逆賊として書かれています。特に古事記では、葬送の描写としては最古の部類に入る記述として注目されます。

弓を持ったイケメン

中津国を平定し国造りを行っていた大国主命に対して、国を譲る様に天照大御神を中心とする高天原側は国を譲る様に交渉を行います。
まず、使者として遣わされたのは『古事記』よれば、天菩比神(あめのほひのかみ)でした。しかし、この神は大国主とベッタリしてしまい、三年も戻ることはありませんでした。その次に遣わされたのが『日本書紀』によれば、大背飯三熊大人(おほそびのみくまのうし)でした。しかし、この神も大国主にベッタリとなりついに戻ってきませんでした。
困った、高天原サイドですが、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、天照大御神は、神々に問います。「誰か、使者に良い神は居ないだろうか。」と。これに答えたのが、思金神でした。『古事記』上巻には、

尓思金神答白可遣天津國玉神之子。天若日子。
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.37)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。

訳(以降、本ページにおける訳は註が無い限り、小山田宗治による)
ここに思金神は「天津国玉神の子、天若日子を遣わすべし」と、答えて申し上げた。

とあります。そして、弓矢を持たせて使者として遣わされました。
この時に持っていた弓矢が、「天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)」、「天之波波矢(あめのははや)」です。『日本書紀』では、「天之麻迦古弓」は「天鹿児弓」と記されています。その形状は特に「天鹿児弓」において、鹿を射るほどの大きな弓であろうと言われています。

裏切り者

中津国に使者として下ってきた、天若日子ですが大国主の娘、下照比売と結婚します。そして、仲睦まじい生活を送ることになります。この辺りの原文を見てみましょう。
『古事記』には、

於是天若日子。降到其國。卽娶大國主神之女。下照比賣。亦慮獲其國。至于八年。不復奏。
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.37)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


ここに、天若日子は中津国に降りると大国主神の娘、下照比売を娶り、更には中津国を得ようと計画し、八年もの間、自分の役目を行わなかった。

とあり、『日本書紀』には、

來到卽娶顯國玉之女子下照姫。<…分註中略…>因留住之曰。吾亦欲馭葦原中津國。遂不復命。
(『新訂増補 国史大系 日本書紀前編』,吉川弘文館,昭和49年,P.60)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


(中津国に)到った天稚彦は大国主(顯國玉)の娘、下照姫を娶り、そして葦原中津国を治めようと考え、ついに自分の役目を行わなかった。

とあります。『古事記』、『日本書紀』共に殆ど同一の記述である事が気がつきます。天若日子による裏切りの序曲とも言える部分です。
しびれを切らした高天原サイドはついに行動に出ます。「雉」を遣いに出します。
「鳴女」と呼ばれた「雉」は、天若日子の舘の門に止まり、こう鳴いたと言われています。

汝所以使葦原中津國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何至于八年不復奏。
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.37)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


(天若日子を)葦原中津国に遣わした理由は、中津国の荒ぶる神々を説得する事である。なぜ八年もの間、奉告をしないのだ?

これを聞いた、天佐具売(あめのさぐめ)は、鳥の鳴き声が不吉であると天若日子に告げた。天若日子はそれを聞いて、天之加久矢(あめのかくや)にて「雉」を射殺してしまいます。その矢は、高天原にまで飛び高木神(高御産巣日神)のもとに至り、驚かせています。
驚いた高木神は、その矢を見て呪いを行い矢を射返しています。『古事記』によれば、

或天若日子不誤命爲射悪神之矢之至者。不中天若日子。或有耶心者。天若日子。於此矢麻賀礼<…分註省略…>
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.38)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


もし、天若日子が高天原からの命令に背かず、悪神を射るための矢であったのならば、射返すこの矢は天若日子に当たらない。もし、天若日子に邪心があるならば、この矢で死んでしまえ。

と記されています。
結果として、この矢は就寝中の天若日子に刺さり、天若日子は亡くなってしまいます。
この後に、『古事記』における葬儀の表現としては、最も古い話へと繋がっていきます。

『古事記』最古の葬儀の表現

最愛なる夫、天若日子を亡くした妻、下照比売は嘆き悲しみ、同時に天若日子の父である天津国玉神も降ってきて共に悲しんでいます。そして、葬儀の為の斎場である「喪屋(もや)」を作り葬儀の準備をします。様々な鳥が葬儀に奉仕した事が窺えます。

河鴈爲岐佐理持。<…分註省略…>鷺爲掃持。翠鳥爲御食人。雀爲碓女。雉爲哭女。如此行定而。日八日。夜八夜以遊也。
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.38)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


雁がキサリモチを務め、鷺は箒を持ち、翠鳥(そにどり・カワセミ)は天若日子へのお供え物を作り、雀は米をつき、雉は泣女(なきめ)をつとめ、八日間にも渡っての昼夜、歌い舞った。

現在の神式の葬儀の典拠にもなっている部分です。
その様な中、一柱の神様が弔問に訪れます。阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこね)です。この神、天若日子とそっくりでした。故に、天津国玉神や下照日売は『古事記』よれば次の様に話したと記されています。

我子者不死有祁理。<…分註省略…>我君者不死哭祁理云。
(『新訂増補 国史大系 第一部10 古事記』,吉川弘文館,昭和39年,P.38)
※漢文はHPフォーマットの都合上、白文とし、一部の漢字表記を変更した。


私の子は死んで異なかった。私の夫は死んでいなかった。

激怒した、阿遅志貴高日子根神は喪屋を十掬剣(とつかのつるぎ)で切り倒し、蹴っ飛ばしたと言われ、美濃国(現在の岐阜県)にその喪屋は山となって「喪山」と呼ばれているとも『古事記』には記されています。

さて、阿遅志貴高日子根神ですが、大国主神と多紀理毘売命(たぎりびめ)の御子神であり、天若日子の妻、下照比売の兄神です。阿遅志貴高日子根神と天若日子がそっくりさんとの事ですので、もしかしたら下照比売は阿遅志貴高日子根神に対しても心があったかもしれません。推測です。
「お兄ちゃんが大好きな妹」だったのかも知れません。現代の妹萌えの原点はここなのでしょうか。

文章担当小山田宗治(元メンバー)

参考資料

  • 古事記
  • 日本書紀
  • 古事類苑

挿絵担当陸(りく)

参考資料

  • 古事記
  • 日本書紀

挿絵解説

古事記の記述を参考に。アメノワカヒコと、その上に見える手は高木神です。矢は高木神にまじないをかけられたイメージで金色に光らせました。

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