常世神
とこよがみ
常世神の解説
とこよがみ


大生部多が勧め、民間信仰として人気を得た「常世神信仰」。その成り立ちと衰退について
大生部多から始まった「常世神信仰」
644年。皇極天皇3年に、新興宗教の神様として現れたのが今回ご紹介する「常世神」です。
日本書紀に記されているその姿は、「イモムシ(おそらくはアゲハ蝶の幼虫)」であったと言われています。
イモムシの姿を借りた神様、というわけではありません。イモムシそのもののことを指していました。
ことの始まりは、東国の富士山周辺。
そのこに住んでいた「大生部多(おおふべのおお)」が村人に虫、つまり常世神を祀ることを勧め始めます。
この神を祀れば、貧しいものは富を得ることができ、老人は生き生きと若返るようになると言い、多くの村人が橘の木からこの虫を採って「常世神」として祀り、供物や歌、財産や舞いなどを捧げ、常世神のもたらす幸福を求めました。
巫らも神託と言い、「常世神を祀るものは豊かになり、若返る」と説いたため、さらに信仰は深まり、大きなものとなっていきます。
終わりを迎える民間信仰
しかし、その常世神信仰も長くは続きませんでした。
人々に財産を寄付させ、都人も田舎人もみんな常世神を祀っていましたが、惑わされている民衆には結局なんのご利益も無く、ただただ損害が拡大していくのみでした。
そこで、聖徳太子の側近として活躍した「秦河勝」が、民が惑わされるのを憂い、大生部多を討伐したのです。
これにより、人々が常世神を祀ることは無くなり、民間信仰は終わりを迎えました。
時の人は秦河勝を称え、
「大秦は 神とも神を 聞こえくる 常世の神を 打ち懲ますも」
(大秦は神の中の神だという評判が聞こえてくる、常世の神を打ち懲らしめたのだから)
と歌ったと伝えられています。
なぜ「常世神信仰」は根付いたのか
一見すれば、どこにでもいそうな虫を神として祀り、供物を捧げることによって幸せになれるとは思いません。
しかしなぜ、当時の人々はそれほどまでに「常世神」を祀ったのでしょうか。
当時、「常世の国」とは海の彼方にあるとされていた、不老不死の異世界、理想郷のことを言いました。
日本神話においては、少彦名神、田道間守、また浦島太郎などが常世の国に渡ったとされています。
アゲハ蝶の幼虫がつく橘の木は、常緑樹のため冬でも葉を落とすことがなく、「常世の国」にある木と同じものだと考えられていました。
その橘の木につく幼虫は、成長してサナギとなります。
そこから今までとはまったく姿の違うアゲハ蝶へと羽化するさまはまるで、一度死んでから復活したようにも見えました。
その様子が当時の人々からは不老不死だと考えられており、そういった生まれ変わりにも見える虫の姿が、人々に民間信仰として根付いた原因なのかもしれません。