沖ノ島

おきのしま

沖ノ島

沖ノ島の別名

  • 神の島
  • 田心姫神

沖ノ島の御神徳

沖ノ島の伝承地

  • 福岡県宗像市

沖ノ島の継続

  • 天照大御神(親)
  • 須佐之男命(親)
  • 市寸島比売命(妹)
  • 多岐津比売命(妹)
  • 大国主神(夫)
  • 阿遅鋤高日子根神(子)

沖ノ島の鎮座

沖ノ島の解説

おきのしま

沖ノ島 沖ノ島

2017年、ユネスコの世界遺産に登録された玄界灘の孤島・沖ノ島。今でも多くの謎に包まれた神の島。その歴史の断片を紹介します。

神の島

沖ノ島は、玄界灘に浮かぶ周囲4キロメートルの孤島である。
福岡県宗像市に属し、九州本土からの距離は約60キロメートル。
航海の難所に位置し、地元の漁師も容易に近づくことが出来ない。
『神の島』とも呼ばれる沖ノ島は、島全体が宗像大社沖津宮の神領であり御神体である。
21世紀の現在でも女人禁制の伝統を守っており、男性でも一般の者は毎年5月27日の現地大祭の時の200人以外は上陸を許されない。
島に上陸する者は一糸まとわぬ姿となり、海で禊(みそぎ)をしなくてはならない。
しかし2018年からは、研究者を除く者の上陸は全面禁止になる。
沖ノ島が2017年、『神宿る島 宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成資産のひとつとしてユネスコより世界遺産に登録された際、ユネスコが島への接近・上陸対策の強化を宗像大社に要請したためである。
無人島だが、現在は沖津宮の神職が10日交代で派遣され、常時滞在している。
島のことを語ってはならない。
一木一草一石たりとも持ち出してはならない。
それを破った者には、恐ろしい祟りがあると昔から信じられてきた。
崇拝と畏怖の島である。

祭祀の島

宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀る宗像大社沖津宮は、島の南西部、標高75メートルから85メートル付近、巨石群が密集する黄金谷と呼ばれる場所に鎮座する。
現在の社殿は17世紀半ばに建てられたもので、それ以前は社殿を持たない自然崇拝の形であった。
初めは巨石の上に祭壇を作って行う『岩上祭祀』。
次に、巨石が上から覆い、地面が陰になる場所で行う『岩陰祭祀』。
岩陰から外に祭場がはみ出した『半岩陰半露天祭祀』。
そして最後は平坦な地面で行う『露天祭祀』となり、現在は沖津宮の社を祭祀の場とするようになった。
祭祀の歴史は2000年以上遡ることが出来る。
4世紀後半から9世紀にかけては、地元の有力者・宗像氏や朝廷による大規模な祭祀が行われ、様々な供物が捧げられた。
多くは国宝になるほど貴重なものばかりで、『海の正倉院』とも呼ばれている。
沖ノ島への深い信仰の理由は、
・玄界灘の中央に位置し、航海の難所にあること。
・島の形。石英斑岩から成り、巨石が散らばる光景。
・筑紫の豪族・宗像氏の影響。
などが考えられるが、まだまだ謎が多い。

姫の島

沖ノ島に祀られている田心姫神は、宗像三女神と呼ばれる三柱の神の一柱である。
宗像三女神は、天照大御神と須佐之男命の誓(うけい)の結果、生まれた。

弟・須佐之男命の邪心を疑った天照大御神は、天の安河原で誓約をする。
天照大神は須佐之男命の持っていた十握剣を三段に折って、天真名井の聖水をふりすすぎ、噛んで吹き捨てた。
その息から生まれた三女神が、宗像三神と称される神々である。
初めに化生した女神が、奥津島比売命(多紀理毘売命、田心姫神)である。
次に市寸比売命(狭依毘売命)、多岐津比売命が生まれた。
天孫降臨の際、天照大御神は娘である三女神に「道中(玄界灘)に降臨し、天孫を助けなさい」と命じた。
奥津島比売命は沖ノ島の沖津宮に、市寸比売命は田島(宗像市)の辺津宮に、多岐津比売命は大島の中津宮に祀られている。
奥津島比売命はのちに大国主神と結婚し、阿遅鋤高日子根神を生んでいる。

宗像三女神は元々、北九州地方の宗像一族が信仰する海の神であった。
ところが4世紀頃、朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んに行われるようになると、その神威は一気に高まる。
九州と朝鮮半島の間にある玄界灘は荒海で、ここを無事に航海することが船乗りの一番の願いだったのだ。
人々は大陸との交流の道である島々に宗像三女神を祀り、航海の安全を守護してもらうことを願った。

文章担当弥紬

参考資料

  • 古事記

挿絵担当しわ

参考資料

  • むなかた電子博物館
  • 古事記
  • 宗像大社

挿絵解説

「お言わずさま」といわれた神聖の島。上陸を禁止される孤島は命の住処となるのでしょうか。

沖ノ島に関連する神様

おきのしま

沖ノ島 沖ノ島