諏訪大明神
すわだいみょうじん
諏訪大明神の解説
すわだいみょうじん


諏訪の地で信仰されている諏訪大明神
諏訪大明神とは何者か
一般的に建御名方神と同一視されている諏訪大明神。
その出自には諸説ある。
室町時代に執筆された『諏訪明神絵詞』には、「諏訪明神が天竺国波堤国の王子だった頃……」との記載がある。
また鎌倉時代の説話『甲賀三郎伝説』では、近江国の地頭・甲賀諏胤の三男・諏方が兄に妻の春日姫をさらわれ、奸計で穴へと落とされ、そのまま蛇体となって地底の国々を巡り、ある国の国王の娘と結婚して十三年を過ごす。
しかし地上に残してきた妻が忘れられず、日本へ向かって長い旅に出る。
様々な苦難を乗り越えて浅間山へと出た諏方だったが、体は蛇体のままであった。
老僧の助言で三十三年ぶりに人の姿へと戻った諏方は、兵主神に導かれて三笠山へ行き、春日姫と再会。
そして兄弟を退け、平城国で神道の法を授けられて帰国し、諏方は諏訪明神となって上の宮に出現し、春日姫は下の宮に出現した、とある。
諏訪の祭祀に建御名方神の姿は無い。
諏訪の神様は諏訪大明神であり、建御名方神は外向きの名前と認識されている。
もうひとつの国譲り
諏訪の地へとやってきた諏訪大明神は、そこで土着の神たちと対峙する。
土着の洩矢神は鉄輪を持ち、諏訪大明神は藤枝を持って戦った。
結果は、藤枝を用いた諏訪大明神の勝利であった。
敗れた洩矢神は滅ぼされず、祭祀を司る神長官となる。
また、高照姫という神は諏訪大明神に最後まで抵抗したが、民を守るために退き、先宮神社に幽閉されることを選んだ。
こうして諏訪の地は、諏訪大明神が治めることとなった。
大祝(おおほうり)と神長
土着の神に勝利した諏訪大明神は、軍神として崇められることになる。
諏訪大明神の子孫である大祝の諏訪(神)氏は、平安末期には武家として歴史に名を残している。
源平の合戦ではどちらの味方をするか迷っていた大祝の夢に諏訪大明神が現れ、手にしていた梶の葉の軍配を源氏の白旗の方へと振り下ろした。
この伝承から、諏訪大祝家は『梶の葉』の家紋を用いるようになった。
また、坂上田村麿が梶葉の藍摺りの水干を着た諏訪大明神に出逢ったという話もある。
大祝とは、諏訪大明神を先祖とする諏訪氏の中から選ばれる。
実体を持たない諏訪大明神の器となるのは、8歳の男児である。
古来、大祝は諏訪の地から出ることを許されなかった。
決まりを破れば、ミシャグジ神から恐ろしい神罰が下るのだ。
そのミシャグジ神を唯一自在に操れるのが、洩矢神の子孫で神長官である守矢氏であったという。
大祝は生神として崇められたが実権を持たず、祭祀も政治も神長官が取り仕切っていた。
大祝に宿るのは諏訪大明神ではなく、ミシャグジ神という説もある。
諏訪大明神と土着の神との境は曖昧だ。