速秋津比売命
はやあきつひめのみこと
速秋津比売命の別名
- 速秋津咩(延喜式-六月晦大祓)
- 速秋津日命(日本書紀)
- ※古事記のみ、速秋津日子神、速秋津比売神と男女の別がある。
速秋津比売命の御神徳
速秋津比売命の伝承地
- 水戸(みなと)
速秋津比売命の継続
- 伊邪那岐命(父)
- 沫那芸神(子)、沫那美神(子)、頰那芸神(子)、頰那美神(子)、天之水分神(子)、国之水分神(子)、天之久比奢母智神(子)、国之久比奢母智神(子)
速秋津比売命の鎮座
速秋津比売命の解説
はやあきつひめのみこと


『延喜式』第八巻「祝詞式」に「六月晦大祓」と呼ばれる祝詞が収録されています。
【解説】
祓の神であると共に、水戸(みなと)の神でもある
『延喜式』第八巻「祝詞式」に「六月晦大祓」と呼ばれる祝詞が収録されています。それによれば、
荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津咩と云う神、持ちかか呑みてむ。
とあり、豪快に人々が知らず知らずに犯してしまった罪や穢れを飲み込んでいる姿が想像されます。この様な姿から、「祓」が専門の神さまと思われがちですが、古典をひもといていくと別の姿が見えてきます。
まず、『古事記』を見てみます。同史料には、速秋津比売神の出生に関して次のように記されています。
次に、水戸の神、名は速秋津日子神を生みき。次に、速秋津比売神
ここから分かる事としては、当初は水戸の神さまであった事が分かります。次に、『日本書紀』の神代上第六段には
水門神等を速秋津日命と号す。
とあり、やはり「みなと」の神さまの神格を示しています。
ここでの「みなと」は、「水戸」や「水門」と記します。水の戸ぐちを示すと言われており、河の河口部分であるとされます。ですので、ご祭神としてお祀りしている神社の名前に「湊(みなと)」が付く例が多いのも頷けましょう。
御子神はもっと凄い!!
『古事記』によれば、速秋津日子神、速秋津比売神の御子神はもっと凄い働きをしております。ここで注目するのは、天之水分神(あめのみくまりのかみ)と国之水分神(くにのみくまりのかみ)の二柱。
この二柱の神は、律令時代の政府の機関である神祇官にて祭祀が執り行われていた、「祈年祭(きねんさい:一年の特に稲の豊穣を祈る国家祭祀)」の祭祀対象として、同様に『延喜式』第八巻「祝詞式」の「祈年祭祝詞」に出てくる神さまです。少し、祝詞の内容を見てみますと
水分に坐す皇神(すめがみ)等の前に白さく、吉野・宇陀・都祁(つげ)・葛木と御名は白して辞竟へ奉らくは、皇神等の寄さし奉らむ奥つ御年を、八束穂(やつかほ)のいかし穂に寄さし奉らば、皇神等に初穂は穎(かび)にも汁にも、のへ高知り、の腹満て雙べて、称辞竟へ奉りて、遺(のこ)りをば皇御孫命(すめみまのみこと)の朝御食(あさみけ)・夕御食(ゆふみけ)のかむかひに、長御食(ながみけ)の遠御食(とほみけ)と、赤丹(あかに)の穂に聞食すが故に、皇御孫命の宇豆(うづ)の幣帛(みてぐら)を称へ辞(ごと)竟(を)へ奉らくを、諸(もろもろ)聞き食へよと宣(のりたま)ふ。
とあり、日本古来からの国の主力産業であった稲作に欠かせない水を司る神さまである事がわかります。天皇が幣帛(へいはく:お供え物)を供進している所からみても凄い事ですね。
挿絵担当ササニシキ(元メンバー)
参考資料
- 古事記
- 日本書紀
挿絵解説
海の底で待ち構えて罪や穢れを飲み込むとのことで、水の中にいるような描写、穢れを具現化したような黒赤い影、それを下方で口を開けて引き込もうとしているハヤアキツヒメを描きました。