鬼八法師

きはちほうし

鬼八法師

鬼八法師の別名

  • 鬼八
  • 鬼八ボシ
  • 金八

鬼八法師の御神徳

鬼八法師の伝承地

  • 九州の山岳地帯(阿蘇、高千穂)

鬼八法師の継続

  • 健磐龍命の家来

鬼八法師の鎮座

鬼八法師の解説

きはちほうし

鬼八法師 鬼八法師

九州の山岳地帯に伝承される霜の化身。

気候を操る力を持ち、首をはねられても蘇る再生能力がある。
霜害をもたらすと農民たちに恐れられてきた凶神である。

九州山岳地帯の鬼

鬼八法師にまつわる伝承は、九州の阿蘇と高千穂の山岳地帯に残っている。
鬼八は霜を降らせて農作物に被害をもたらす厄神として、農民に恐れられていた。
霜を人格化したものと考えられ、その姿は角が2本の普通の鬼だったようだ。

ふたつの伝承

鬼八には、ふたつの異なる伝承がある。
阿蘇と高千穂、それぞれの鬼八伝説を紹介しよう。

阿蘇の鬼八法師伝説

阿蘇の開拓神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)には、鬼八法師という家来がいた。
ある日、健磐龍命は蛇ノ尾山(あるいは往生岳)から遠くの石に向かって矢を射る遊びを始めた。
その矢を取りに行く役目を任されたのが、鬼八法師である。

最初は真面目に拾って帰った鬼八だったが、何度も何度も行き来することに疲れてしまった。
やがて怒りを覚えた鬼八。

100本目の矢を足の指で挟んで、主である健磐龍命に投げ返した。
家来の身で主の矢を足蹴にした鬼八の行いを、健磐龍命は許さなかった。
腰の剣を抜くと、鬼八の首をはねようとしたのである。

鬼八は高森方面へと逃げたが、追いつかれて首をはねられてしまった。
はねられた首は高く舞い上がり、どこかへ飛んで行ったという。
そうして殺された鬼八は恨みから凶神となり、霜を降らせては農作物を枯らすようになった。

霜害に苦しむ民の様子を見た健磐龍命。
困り果てた末、鬼八の霊を阿蘇谷の中心に祀り、怒りを鎮めることにしたのである。
この時に創建されたのが、阿蘇の役犬原にある霜宮神社(現在の霜神社)だと伝説は伝える。

高千穂の鬼八

初代天皇の神武には、三毛入野命(みけいりのみこと)という兄がいた。
神武天皇と共に大和地方を征服した後、三毛入野命は故郷の高千穂に戻ってきた。

久々に帰った高千穂の里。
そこは鬼八という鬼に荒らされていた。

鬼八は二上山の乳ヶ窟に棲んでいたのだが、皇子たちが留守にしている間に里に下りて居座り、乱暴の限りを尽くしたのだ。
怒った三毛入野命は、鬼八を討つ決意をする。

しかし、大切な祖母が長旅の疲れで病気になってしまった。

祖母のことは心配だったが、民を苦しめている鬼八を放ってはおけない。
三毛入野命は祖母の看病を里人に頼んで、鬼八との戦いに臨んだ。
戦いは熾烈を極めた。

鬼八は強く、また夜になると更に力を増すのだ。
三毛入野命は、朝日丹部守という呪術者を頼る。

すると、次第に形勢は三毛入野命の優勢となった。
そしてついに、鬼八は討たれた。

三毛入野命は鬼八の死体を土に埋め、戦いは終わったかに見えたのだが……。
鬼八には再生能力があった。

一夜にして蘇った鬼八。
再び、戦いが始まった。

再戦も三毛入野命が優勢。
ところが、あと一歩のところで日没を迎えてしまった。
このままでは鬼八の力が増し、形勢が逆転してしまう。

絶望に包まれた、その時。
朝日丹部守が扇で招くと、沈みかけた太陽が空に戻ってきたのだ。

太陽の力で力を失った鬼八は、今度こそ三毛入野命に倒された。
三毛入野命は鬼八の首をはね、念のため胴体もふたつに切り分けた。

そして、それぞれを別の場所に埋めたのである。
そこまでされては、さすがの鬼八も蘇ることができなかった。
戦いが終わり、三毛入野命はすぐに祖母のもとへ。

しかし、祖母はすでに亡くなっていた。
悲しむ三毛入野命。
この高千穂に落ち着くことを決め、鬼八に捕まっていた女性を妻として、高千穂の開拓神になったという。

鬼八の祟り

阿蘇でも高千穂でも、たびたび降る霜を鬼八の祟りと考えた。
その祟りを鎮めるため、現在でも阿蘇では『お火焚神事』を、高千穂では『猪掛祭』を行っている。

阿蘇の『お火焚神事』は旧暦の7月7日から9月6日にかけて霜宮神社で行われ、初潮前の少女が火焚き殿に籠り火を焚き続けるという。
この火には鬼八の首を暖めるという意味があり、神事の間は決して火を絶やしてはならない。

こうして鬼八の霊を慰め、早霜が降りないようにと願うのだ。
1990年までは選ばれた15歳前後の少女が『火焚乙女』として、8月19日から10月16日までの59日間、火を焚き続けた。
だが、その慣習は形を変え、現在は地区の住人が火を焚き、神事の節目にだけ火焚乙女が参加する。

高千穂の『猪掛祭』には、残酷な歴史がある。
鬼八が討たれた後、高千穂地方にはたびたび霜が降り、農作物が被害を受けた。

それを鬼八の祟りと考えた人々は、霜が降りないようにと鬼八の首塚に乙女を生贄として捧げるようになったのだ。
生贄の風習は、戦国時代の頃まで続いたという。

その頃に高千穂を治めていた領主が、生贄にされる乙女を哀れに思い、鬼八には人ではなく猪を捧げるようにと命じたことで、残酷な風習は姿を消した。
現在でも旧暦の12月3日には鬼八に猪を供え、神楽を舞う『猪掛祭』が続いている。

恐れられる霜の鬼

鬼八法師は九州の人々に古くから恐れられてきた。
それは霜の害が人々に深刻な影響を与えていたからに他ならない。

現代にも残る、鬼八を慰めるための様々な祭りが、それを物語る。
今も人々の心には、自然への畏怖があるのだろう。
人間は万能ではないことを忘れてはならないと、鬼八の伝説は教えている。

文章担当己未(きみ)

参考資料

  • 一の宮町史・自然と文化 阿蘇選書11・神々と祭の姿
  • 高千穂の古事伝説・民話
  • 高千穂の神話と伝説

挿絵担当しわ

参考資料

  • 高千穂の古事伝説・民謡

挿絵解説

自然の力を畏れる心は、今も昔も変わらず。凍てつく冬を告げる霜は、何度首を刎ねられようとも蘇り、また訪れる。

鬼八法師に関連する神様

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